Life in Tokyo: あれから12年… Life in Tokyo

Life in Tokyo

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2007-01-17

あれから12年…

今日は阪神淡路大震災から12年…
毎年この日を迎えるたびにあの日のこと、被災から復興までの数ヶ月、数年のことを思い出します。
地震当日、着の身着のままで近くの体育館に避難しマットを敷き、周りの人と肩を寄せ合って余震と寒さに震えながら寝た事を思い出します。廊下には亡くなった人が安置され、水が流れないトイレはたちまち不衛生になり、大変な状況でした。私は幸い家族を失ったり家がつぶれる事は無かったけどあの時の惨事や恐怖を忘れる事はないな…周りで不幸にあわれた方も大変だった話もたくさん聞きました。ご冥福をお祈りしたいと思います。

地震後一番嬉しかったのは、近所の商店街に住む化粧品店を営むおば宅がお店を再開させたこと。震災から6年後のことです。それまでの6年は仮設住宅に住み、仮説店舗で細々とお店を続けていたのだけど、お店の再オープンには嬉しくて思わずイギリスから戻ってきたものでした。今ではおかげ様でお店も何とかうまくいっているようです。あの大変な時を乗り越える事が出来た事はさすが関西パワーだな~と思います。

ちなみにあの日以来、わたくし防災グッズを常に玄関前に置いています。中に入ってるのはそんなにたいしたものはないですが。12年前の教訓を生かして、重ね着できる服、靴下、下着、トイレットペーパー、カッパ(防寒にもなる)、カイロ、コンタクトレンズ、コンタクトレンズの液。こんなもんかな。 水とか乾パンとか食糧は入ってません。なぜなら阪神の時は被災から半日もした頃から食糧の配給があったから。(一晩目はおにぎり数個でお年寄りや小さな子供優先だったけど)
それに、お店(コープとかコンビニ)が被災当日からお店を開けてくれて、すぐに食べられる調理のいらない商品(水・パンとかお菓子)を売ってくれたから。でもこれは場所にも寄るし、東京で今地震が起こってしまったらこの人口を支える食糧は不足してしまう可能性はあるので一概には言えませんが。。。
あの地震の日、一番うらやましかったのは、暖かい食事をとっていた家族。そう、あの家族はキャンプ用の調理用具を持っていて、水を鍋で炊き、カップヌードルを食べていたのです。電気・水・ガスが全て止まってしまったその状況であの温かい食事は本当に美味しそうに見えました。私たちは調理するものがなく、確か食パンをコープで買って、ジャムをつけて食べた記憶があります。

地震が起こらない世界が一番いいけど、日本にいる限りは避けられない状況。。。だったら防災対策はしっかりやっておいたほうがよい、ということを毎年今日1月17日は思い起こさせてくれます。


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2 Comments:

  • そんな大変な目に遭ってたとは今まで知らなかったよ。おばさんのお店、今ではりっぱなとこで商売してはるもんね~。6年もかかってたなんて、それまでのご苦労も『関西パワー』で乗り切ってこられたんですね。

    私もあの日を忘れない。けど、うちでは被害が少なかっただけに、防災に関しての意識はとても低いかも...それにもしものときどうしたらいいかもわからないと思う。ちゃんと用意しとくべきだよね。

    milhouseさんの経験を参考に揃えるようにします。

    By Anonymous 匿名, at 22/1/07 22:26  

  • じんじんコメントありがとう。
    おばちゃんとこのオープンのときはね、確かBathのあの家でじんじんと一緒に住んでたとき。懐かしいなあ。帰国中のMちゃんがわざわざ東京から応援に来てくれたんだ。あの時は本当に感動したよ!

    そうそう、備えあれば憂いなし。使わないかもしれないけど用意してるにこしたことはないよ~!

    By Blogger tomi, at 23/1/07 22:43  

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